みなさん、こんにちは。 豆蔵ソフト工学研究所の所長の羽生田栄一(はにゅうだ えいいち)です。 通算5回目の豆蔵ソフト工学ラボ(愛称:豆蔵コラボ)における情報発信をさせていただきます。

最近、豆蔵では社内SNSというのを始めました。いわゆる情報の共有化とかナレッジマネージメントなんかよりもずっと緩い形のコミュニケーションの場の確保という意味合いがあります。教育講師やソフトウェアコンサルタントとしてお客様のサイトを飛び回っているエンジニアの社員やスタッフの間でちょっとした息抜き・ちょっとした言葉のやり取りを相互に交わせるようなカルチャーを作りたいという思いからです。なにごとも始めてみて面白いと思うところから少しづつ広げていこう、組織の環境改善はそんな1歩からボチボチ草の根的に進めていくのが結局は早道なのだなぁと思う今日この頃です。

わたしは最近立て続けに広い意味で日本人のこれからの世界の中でのコミュニケーションのあり方にヒントを与えてくれる本を何冊か読みました。1冊は漢文の本、1冊はですます調のススメ、最後の1冊は恋愛指南の本です。

加藤徹さんの『漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?』(光文社新書)は、世界にはグローバルな共通言語として英語だけでなく、ついこの間まで広く東アジアの共通シンボルとしての漢字と知識人のグローバルな基本教養としての漢文があったのだ、ということが説得的に伝わる本です。漢文のアジア圏での復活は絵空事ではなく、英語圏とバランスを取り、偏った西洋の論理に対抗する別の軸を確立する意味でも重要に感じます。またラテン文字とは別に象形文字というある意味で人類の認知能力を基盤にした絵文字の新たな確立が世界にとっても興味深い刺激を与えてくれるのではないかと妄想は膨らむのであります。この著者は私とほぼ同年代ですが、おなじく同世代で注目する『国家の罠』の佐藤優に優るとも劣らない知力と筆力の著者を発見できてこれからが楽しみです。

冷泉彰彦さんの『関係の空気・場の空気 なぜ上司と部下は話が通じないのか』(講談社現代新書)は、日本語は1対1の関係性をうまく捉えるのが得意な言語だが、それがグローバルな時代に却って機能不全に陥っているという新鮮な指摘から始まります。場の空気を読むことの不毛を指摘して、日本語の文末表現の改革を提案します。つまり、上司と部下も先生と生徒もともに相手をコンテキストからいったん切り離した「ですます」調の文章で敢えてぎこちなく・しかし論理的に会話をすることの訓練の重要性を主張するのです。無責任に教育を一般論で批判するのでなく具体的な改革案を出している点で非常に刺激的でした。空気や場を読む前に、ほんとにお互いにやりたいことを素直にモデルにして見せ合いましょうよ、そのための技術的な訓練をやった方がこれからの世の中まともになりますよ、という明るいメッセージと受け止めました。

さいごは私がいま日本で一番注目する実践的な哲学者の1人である森岡正博さんの『草食系男子の恋愛学』(メディアファクトリー)です。なんで草食系?なんで恋愛?と疑問に思われるかもしれませんが、究極のコミュニケーションの現場が恋愛(夫婦関係も含めていいと思います)にあることは間違いのないところです。この本の画期的なところは、もてない普通の男子の気持ちの最底辺に著者が降りて行って非常にていねいに問題の理解のしかた・男女の違いと社会におけるそれぞれの抱える困難さの質に根ざす具体的な女性の気持ちのしくみ、等を筋道立てて文章化している部分です。世の中のビジネス文書のお手本といってよいくらいの出来栄えです。この本を読んで、男性のしかも大学の教授という立場の著者が、学問的な権威をかさに着ずに、素直かつ論理的なスタンスで非常に実践的かつ哲学的な恋愛の本を書けるくらいにまで確実に日本の社会は成熟し新しい次元に突入したのだということがわかります。空気を読む不毛に疲れたら、こんなスタンスで恋愛に臨んでいいんだと納得するためにもエンジニアのみなさんに本書はお勧めです。そうそう私が好きな脚本家の池端俊策のTVドラマ「ぼくの妹」(オダギリジョー、長澤まさみ主演)でも全編に<空気を読まないまじめさというスタイル>が溢れていて共感できたのでありました。終わってしまって日曜の夜がさびしい今日この頃です。

このように日本の社会は問題を抱えつつも着実に進歩している確かな手ごたえを感じます。ITもそのような社会の進歩に貢献するようにそんな仕事がしていきたいと考える梅雨どきの晴れ間の1日でありました。クラウドコンピューティングに関しては、そのような視点で一度テーマとして取り上げていきたいと考えています。