前回(第4回「客観と主観」)」の最後の部分で、KJ法(注1)について「「KJ法はデータ(情報)の分類手法である」というのは大きな間違い」と書いたところ、多数の方から「え?違うの?」という反応を頂きました。そこで今回はちょっと SSM を離れて、KJ法の話をしてみたいと思います。(昨年EM-ZERO (注2) vol. 4.2 に書いた「今だから、KJ法」の加筆修正版です)

注1) 「KJ法」は、川喜田研究所の登録商標です
注2) エンジニア向けのフリーペーパー(http://www.manaslink.com/

1.はじめに

「KJ法は分類手法ではありません。」

少し前になりますが、あらためてKJ法を学ぶ機会がありました。その時のことです。「KJ法について何か知っていることは?」との質問に、私が「いろいろな言葉や概念を、何らかのカテゴリに分類する手法で...」と答え始めたところ、講師の方(注3)にいきなりダメ出しされたのがこの一言でした。自分がKJ法について、何も知らないことを思い知らされた瞬間でもあります。

KJ法 - 川喜田二郎博士の名前に由来した日本生まれの手法であり、名称そのものが広く知られているのはご存知の通りです。しかしその反面、KJ法の本来の意味としての使い方がどれだけされているのかというと、その本質を理解せずに表面的な技法としての知識のみが利用・流用されている場合がほとんどであると言っても過言ではないでしょう。

もちろん技法としての使い方は、それはそれで便利かつ有用な手段であり、絶対にいけない、と言うつもりはありません。ただし本来のKJ法の趣旨を理解して使う場合とそうではないのとでは、結果としてできることには雲泥の差があります。

そこで、真のKJ法とは一体どんなものなのか?ということを短い字数ではありますが、お伝えできればと思います。

...

と思ったのですが、ちょっと無謀でした。とてもではありませんが、「KJ法とは何か?」を短い字数で伝えることは流石に無理だ!ということがわかりました。しかも私もまだまだKJ法の本来の姿に『気が付いた』ばかりですので、これがKJ法だ!と言えるほど熟達しているわけでもありません。

従って今回は、「KJ法とは何か?」ではなくて、「KJ法とは何ではないのか?」を少しでもお伝えできれば、と思います。

注3) 株式会社エバーフィールド 永野篤氏

2. KJ法の誤解

2.1 誤解その1:KJ法はデータ分類手法である

冒頭での逸話のように、KJ法は分類手法ではありません。ここは非常に大きなポイントです。もちろん技法だけを使えば分類するために利用することも出来ますが、それは本来の用途ではありません。

「何か」を分類する、ということはあらかじめ想定される何らかの概念や枠組みに、その「何か」をあてはめていくことになります。しかしそれではその「何か」は想定範囲内の物事の範疇に収まってしまいます。

例えば、イヌ、ネコ、イルカ、カエル、毛虫 を分類しようとすると、哺乳類(イヌ、ネコ、イルカ)、両生類(カエル)、昆虫類(毛虫)というようなありきたりの分類か、せいぜい陸生生物(イヌ、ネコ、毛虫)と水生生物(イルカ、カエル)となってしまいます。ここには特に新しい発想はありません。

図1

しかし分類という観点ではなく、そこに何が見えるのか?それを自分はどう思うのか?どう感じるのか?という感覚に集中していきます。「なんとなく」で良い(ここが大事!)ので、そこに現れているものの本質をよく見極めて行くと、それまでとは違ったもの同士の組み合わせが見えて来ることがあります。たとえば、「海外ドラマで活躍する人気動物(イヌ、イルカ)」と「日本の有名なギャグ漫画に登場する変なやつら(ネコ、カエル、毛虫)」といったように。(本当はこれもちょっと違うんですが)

図2

結果だけ見ると後者も分類しているように見えるかもしれませんが、「最初から枠組みを想定しない」ことが最も重要なのです。

このように既存の知識や理論ではなく、自分はどう思うか、どう感じるかというような「実感」に焦点をあてて世界を見つめていくアプローチが基本であり、これには所謂「分類」とは全く異なった発想が必要になります。

2.2 誤解その2:KJ法は問題分析手法である

KJ法ではいわゆる分析はしません。「問題解決技法」と言われることから、問題を詳細に分析する手法と思われることがありますが、そうではありません。分析するためにはもっと他に適した手法(魚の骨やロジックツリーなど)が、いくらでもあります。問題を細かい要素に分解して、一つ一つを詳細に検討するような要素還元的な分析手法とは逆のベクトルです。

そもそも問題を分析するためには、その問題が何なのか明らかでなければいけません。しかしKJ法が扱う問題はそのような明確なものではなく、「何か気になる」「なんとなくうまく行ってない」というようなはっきりしない問題が対象となります。(注4)

つまり一見無関係に思えるような様々な現象でも、一つ一つ吟味しながらそれらを総合して行くことで、それまでは認識できなかった別の何かが見えてくるような、発見的な考え方です。それぞれの断片がまるで自らの意思を持っているかのように自然と集まり、グループとして編成されていく。それが「データをして語らしむる(注5)」ということになります。

分析型ではなく、統合型の手法と言って良いでしょう。

注4) SSMも同様の問題を対象とします
注5) 川喜田二郎著「発想法」より

2.3 誤解その3:KJ法とは親和図法の別名である

"いわゆるQC七つ道具の一つである親和図法。これはKJ法と同じものであり、著作権や登録商標の問題で「KJ法」という名称を使えなかったため、QC(品質管理)の世界では「親和図法」と呼んでいる。"

というのが、一般的な親和図の理解ではないでしょうか。実際に「親和図は通常KJ法と呼ばれます」と明記されている場合も少なくありません。これはある意味では全くの間違いではないにしても、少なくとも正しくはありません。どういうことかと言うと、親和図はあくまでも「図」を描くための手法であり、そこに思想はない、ということが一点。さらに本来のKJ法は大変広範囲な手法にあたり、「親和図」を描くこと自体はその一部にすぎない、という点がもう一点です。つまりKJ法というのは川喜田二郎氏の野外科学をベースとした思想を体現するための、体系化された包括的な方法論になります。単に図を描いて終わり、というようなものでは決して無い、ということです。ただ一般的には前述のような理解が大勢を占めるため、図を描くための手法を狭義のKJ法、方法論全体を広義のKJ法、と呼んで区別することがあります。(全くの間違いではない、と書いたのはそうした理由です)

2.4 誤解その4:KJ法は川喜田二郎氏が命名した

最後は、どうでも良いことかもしれませんが、手法の名前は川喜田先生がご自身で命名されたというよりは、慣習的にそう呼ばれていたものが実質的な名称として広まっていった、ということのようです。もともとはいろいろな情報を紙切れ(付箋紙のようなもの)に書いて整理していたことから「紙切れ法」と呼ばれていたらしく、その時に情報の記録者をイニシャルで「KJ」と書いていたことから、そう呼ばれることが多くなったそうです。

3. To Be Continued...

今回はまず、最も陥りやすいKJ法の誤解について書いてみましたが、ではそもそもこのKJ法は何をしようとするものなのか?という点が気になってくるかもしれません。そうしたKJ法の本質(の一部)については、次回にしましょう。(ということで、次回もKJ法の話題を続ける予定です)